密度と矛盾とテキトー
朝起きると寒さを感じるようになった。この先、起きるのが辛い季節になるな、と思うと、
漠然とした不堪の影を察して憂鬱になる。冬は嫌いだ。
PCにはやさしいけれど、僕がPCのようにあるのは難しい。
コタツでアイスを食べるという矛盾の味を否定できれば、PCのように生きれるのかもしれない。
それができないのは、ありのままをありのまま受け入れる、という覚悟と白痴さが足りないのだろう。純度の高い白になりたい、心から思う。
結局、「賢く生きねばならない」という意識が呪いのように付きまとっているのだ。
最近はその呪いから逃れたくて、浴びるように酒を飲んでいる。
運動が出来ない環境になるとすぐに酒でごまかす癖は治したいと思う。
昨日あたりからやっと体調が良くなったので軽く運動が出来ているので、徐々に酒量は減っていくだろう。
量を飲むためにコストを気にして酒を買うようになってしまっているほどに飲んでいる。
酒をランニングコストだと捕らえるようになったらいよいよ終わりだろう。
酒の酩酊は素晴らしいが、やはりどこか虚しい。
酩酊をしたいと望むのは日常と幻想の境界を曖昧にしたい、という意図があるのかもしれない。
幻想側も日常側も密度が下がってきているので混ぜこぜにして味わおうとしてるだろう。
こういうときはもう単純に、誰かの創作物に浸るのが一番なのだがそんな余裕もない。忙しいわけではないが、いざやろうというモチベーションが出ない。
それより未熟ななにかを固めたい欲求が強い。完成された誰かのものより、自身の未熟な部分をなんとかしたい。こういう感情になっている時は、大抵自覚にせよ無自覚せよ、未熟さに甘えている、甘えられる環境にいてそれを憎んでいるのだ。
まあ心当たりはあるが、それに何かしらアプローチをかけた後の動きが凄く不穏なので避けている。どうすればいいのか、難しいものである。
日記のタイトルがあんまりなので変えた。
テキトーすぎた。このテキトーぶりがいいと思ったがよく考えたらやっぱりあんまりなので変えた。