電脳トレモロ

君の囁きに合わせて、僕の電脳が震えた。

萩尾望都さんの描いた震災「福島ドライブ」を読んだ感想

萩尾望都さんがビックコミックに読みきりを書いている」という話を聞いたので急いで買ってきました。

以下、内容です。ネタバレもあります。

 

総じて、震災を描いてるからといって変に力まず、萩尾望都さんの感性そのままに震災を捉えて描いた、といった印象です。しかもこのタイミングで震災漫画です。

天才はつくづく天才なんだ、と思いました。

 

 

内容は、甲斐バンドの立川ドライブに合わせて、ただ淡々と「一人の人生」を描いていだけのものです。

震災がテーマですが震災後に散見された「頑張ろう」といった具体的なメッセージは描かれていません。

あくまで一人の物語として描かれています。

それを描く為にコマ割りも工夫してあって、敢えて規則的なコマ割りにすることで「誰かのアルバムを見ている」ような気持ちになっていきます。

そのアルバムの切り取り方も描き方も、萩尾望都さんらしい感性で作られていて一コマ一コマに見とれてしまいます。

この儚げな追憶の中にありながら皮膚に迫るような臨場感も出せる手腕には感服でございます。読んでる時になぜか頭でトロイメライが流れてました。

 

さて中盤からはいよいよ震災が描かれていきます。

そこからはかなり鋭く描いていて心に来るものがありました。

不安の象徴が「つながらない携帯」として描かれています。

恋愛モノで「つがらない携帯」はよくありますが、震災に置き換えて表現するとこんなにも重く苦しいものになるのですね。

確かに被災した時はケータイ繋がらなかったなー、なんてぼんやり思い出しました。

あの時に感じた、具体的な像はないはずなのに変に纏わり付くような不安は余り経験したくないものです。

そのまま主人公の心の苦しみが描かれていくのですが、台詞で絶望を吐露しない分、余計にどうしようもない状況に追い込まれていく感じがひしひしと伝わってきます。

 

最後に幼なじみの男性に少し希望的な絵が描かれますが、そこにうっすらと原発が写っていたりして影を落としています。台詞がない分、絵で描かれる要素がより強烈に心に響くと思いました。

さらに大ゴマで第五福竜丸が描かれていたり、最後の死に向かう場面でそこにもうっすらと原発が描いてあったりと、ラストは鋭いメッセージ性がありました。

けれどそれは「頑張ろう」という具体的な、ともすれば押し付けに感じられるメッセージではなく、個々人で受け止めて考えさせる、ぼんやりとした頭をハッとさせる、いわば気付けのスパイスのようなものとして描かれていると思いました。あと、そういう風刺的な仕込みは漫画らしくて好きです。

 

さて、一人の人間の一生を通して震災を描いたこの作品は、震災は社会の問題である以前に個人の問題である、ということを再認識させてくれます。

悲しみや絶望はその原因の規模に寄らず、その当人にしか癒せません。

国家や社会が音頭をとって何かを押し付けても無意味です。

せめて出来るのは衣食住を満たして、考える余裕を作るぐらいなものです。

僕はこの作品は、震災後に起こった「個人の悲しみを私達が殺いであげよう」という傲慢なムーブメントに対して一石を投じるものだと思います。

「被災者」と一括りにされ、「可哀想」とレッテルを張られ、「頑張れ」と一方的に投げ付けられる、それで救われた人なんか一人もいなかったでしょう。

今は「被災者」も「可哀想」も「頑張れ」もありません。

当然です。それは社会が用意したものだからです。社会が「飽きた」「都合が着いた」「もう必要ない」と判断すれば、存在しないことになります。

けれど個人の存在が消えたわけじゃありません。まだ苦しんでいる人達は居ます。

震災を社会の問題だと捉えて「終った」とするのに、僕は疑問を感じます。


さて、この話に一つ救いがあるとするならば、表紙の車がラストの車だということでしょう。彼はきっと彼女に会えたんだと思います。