電脳トレモロ

君の囁きに合わせて、僕の電脳が震えた。

知識ファシストという存在

文系説教ジジイ

 

という言葉を知りました。

こういう言葉を思いつく発想力って面白いですね。

草食系男子とか、インターネットカラオケマンとか。

平易な言葉の組み合わせで、「斬新だけどすんなり意味が飲み込める言葉」を作り出すのってウィットが必要ですよね。

見た瞬間にもう既に、早口で知識を捲し立てたあと一呼吸置いて満足そうにこちらを一瞥して息を漏らし、こちらがそれに対してあからさまな敬意をしめさないと見るや否や「お前は何も分かってない」と頭ごなしに批判を始める、寄れたスーツを着た禿頭でテカった顔をした小太りの男性が目に浮かびました。あとその男性は居酒屋にいてビールのジョッキを片手にしきりに刺身のツマを捏ねくり回してました。

いやあ、そこまで一瞬で浮かばせる言葉はなかなか思いつかない。

僕なんかが、草食系男子に改めて名付けるなら「界面活性男」、

インターネットカラオケマンは「超時空ドサ回り」になっちゃいますね。

全然、ピンとこない。

一応、弁明させて頂きますと、界面活性男はバブル時代と逆の価値観を持ってるっぽいというところから。

バブルに反する→アンチバブル(理科の実験)→その材料の界面活性剤って発想です。

超時空ドサ回りはネットで時空を超えてドサ回りしてるから。

うーん、いまいちですね。

さて、文系説教ジジイなんだけど、確かにこういうタイプはいますね。

多分、モノを知っている自分が偉いとでも思っているんでしょう。

偉いのはそのモノを当人に教えた人やテキストや画像、映像であって、当人は別段偉くも無いわけです。

そもそも物知りは偉い、という間違った認識がまかり通っていることがおかしいです。

(おかしくて上唇の裏に口内炎出来そう)

尊敬は人と人の関係によって構築していくものであって、ただ「知識が豊富」というだけでは成立しません。

なのに、まるで知識を暴力のように振るって人から尊敬を得ようとするんですね。

僕はこういうやつを知識ファシストって呼んでます。

 

知識ファシストってのはまず第一に狭量なあるいは酷いものだと単一な分野の知識を持つことが正義だと思っています。

例えば、文学や経済や音楽やマスメディアやら、まあ何でもいいのですけど、とにかく偏った世界にばかり傾倒して、それを知らないものは自分のヒエラルキー以下である。ゆえに知らないやつは自分に従え。

といった論調を平気で展開します。

こういう奴には「無知の知」って言葉を耳が爛れるまで聞いて欲しいです。

貴方の知らない世界は沢山あるし、その世界は貴方が信望している世界と同等の深淵を湛えています。自分の好きな物が優位であるなんてまったく井の中の蛙です。

それに知識ってのは人を見下す手段に使うものじゃない、そんな下賎なものじゃない、と僕は思います。

 

これは教育というか社会が良くないのかもしれませんね。

社会は情報→経済→権威→尊敬を安易に一本にまとめて語るから、情報を持っていることが即ち尊敬を得られることだと勘違いしてしまうんです。

尊敬ってのはそんなストレートなハイウェイじゃない。

マスメディア批判は脊髄反射的であまりしたくないですが、情報からストレートに尊敬を生むようなメカニズムを作ったのはやはりマスメディアでしょう。

また、封建制度へのカウンターっていう流れもあると思います。

出自次第で尊敬を得られるというのも馬鹿馬鹿しい話ではありますが、

情報を持ってればそれだけで尊厳が付随するって言うのも全くもって馬鹿馬鹿しいです。

それに封建時代に権威を持っていた出自にはそれなりの哲学(武士道や騎士道)があって彼らの中にも、それに習って気高く生きようとした人達がいたことに疑いはありません。

またそれに抗って平等を訴えた人もいます。

結局は、個人の話なのです。尊厳というものは。安易な条件を達成すれば担保されうるものではない。

しかし、それをきちんと教えるような教育に現代はなっていません。

物知りは偉い、学歴を持った人は偉い、なんて教えが当たり前になされている。

まあ現代の市場原理に照らし合わせると経済力が尊さに結びつくのも致し方ないのかもしれませんね。情報がお金を生むのは間違いありませんから、そのお金を持っている人が尊いという思考停止から脱却出来ない限り、情報が尊さの証明であるなんてバカらしい考えは消えないかもしれませんね。

だって井戸端会議をしている妙齢の御婦人ですら、自分のもつ情報をひけらかすわけですから。

(まあご婦人方の会話は一切の経済的価値を生まないと言う点ではある意味素晴らしいと思います)

 

結局、知識や学歴を持つこと自体が尊いんじゃなくて、それで他者に何を為したかが尊敬を生む、という当たり前のことをちゃんと教えてくれる人に出会えるかどうかなのだと思います。

そういう人に出会えなかった、あるいは出会っても気付けなかった人は、社会という蒙昧な不文律に呑まれて知識をひけらかしてしまうのでしょう。

 

加えてですが、知識でご飯食べてる人がその知識を求めている相手に対して偉そうにしているのをみるとやはり違和感を得ます。

知識ある人がその知識でご飯食べれてるのは、知識がなくてそれを必要とする人がいるからであって、いわば表裏一体の関係にあるのです。(脱構築論っぽいですね)

知らない人がいるから自分が糊口を凌げるのであって、その存在を蔑むっていう感覚はいまいち分かりません。

需要のある知識を持つ、という希少性は経済的恩恵でもってして相殺されるべきであって人間の尊厳とはなんら関係が無いのです。

なにより代替がある存在だから蔑ろにしていい、という考え自体が根本的に間違っています。

有機体論的な話になりますが、社会は個々の役割を全うした結果の総体としてあるのであって、ある特定の位相が他の位相をコントロールしているわけではないのです。

その点に置いて、代替出来る存在もまた貴重な人間社会の一員だとすべきなのです。

結局、個人というものに極端に固執せざるを得ない、という呪いから脱却出来ない人が知識をもってして人を蔑むのだと思います。

その呪いから脱却出来るか否かは権威や学歴や経済では計れません。

ただ当人の眼によってのみ見定めることが出来るのです。

 

僕がそういう「知識で人を蔑む行為」を極端に嫌うのは、知識の気高さを冒涜しているからに他なりません。

唐突ですが、僕はプログラマです。

プログラマの中には僕では到底足下にも及ばない知識や技術を持った方が沢山います。

でもその知識を惜しげもなく嫌みもなく、ストンと伝えてくれる人がいます。

それは彼らが知識を使って人を屈服させたいと望むより、その知識を他者に伝えて自分の携わっている分野がより発展することを望んでいるからです。

まあそういう方の中には、夢中になって話しすぎてドン引きされてしまう人もいるのですが。

僕自身もそういう傾向があるので気を付けています。でも僕はそういう人が嫌いじゃないのです。こういう人がこじれた捉え方をされると知識をひけらかしてると思われますが、知識をひけらかしてる人間と純粋にその知識を愛していて伝えたいと思っている人間は明確に区別されます。

もちろん、そういった方にも生活はありますから対価を要求することもありますし、またあまりにも安易に情報を貰おうとする、ただ寄りかかっているような相手に対しては辛辣に当たります。しかし、自立して真剣に学ぼうとしている相手を蔑むことはありません。

僕は少なからずそういった世界で生きていますので、知識を武器として貶めるような扱いをすることが赦せないのだと思います。

 

そういう安易に知識を貶める輩は上唇の裏に口内炎が出来ればいいと思います。

 

以降、 閑話休題

いやーそれにしても、文系説教親父って結構前のネットスラングだったんですね。

ネットスラングにもすっかり疎くなっていまいました。

もう2chやブログやSNSの徘徊をずっとしてなかったので。

 

luvlifeさんのブログ

http://theinterviews.jp/luvlife 

を拝読させて頂かなかったら知りませんでしたね。(ブログというかインタビュワーズか)

直接知ったのは、okutavianusさんの日記で

http://okutavianus.hatenablog.com/entry/2013/11/02/111031

がはてなトップに出てからですね。

これ多分、ちょっと前にluvlifeさんの萩尾望都のレビュー読ませて頂いた時につけたブックマークから解析されてトップに来たんだと思います。はてなのエンジニアはそういう風に組んでるのか、面白いなーって思いました。

僕なら多分やらないですね。ブックマーク自体をリンクさせるのはなんか違うなーって思うので。

ブックマークは個人の軌跡であって他人とリンクさせたくないって思ってしまいます。

でも、大多数のユーザーからするとそれが面白いし驚きがあるんでしょうね。自分の趣味とあったブログが上がってるっていう驚き。そういう思考(僕はむしろ自分の趣味と合わないブログを見たいと思ってしまうので)が出来ないから駄目エンジニアなのかも。

 

やーいやーい、ダメジニアー。お前の設計クソセッケー。

 

ぐぬぬ。

 

さて、最近はこのようにはてなトップを見たり、放置したたtwitterを復活させたりしてますが、流動的な知識も適度に入れると新鮮な気分になっていいですね。

 

やっぱり商業ラインに乗った書物、映画、漫画、アニメイション、ゲームばっかり触れてると安定しますけど、時折ふっと呆然としてしまいますね。

これは「生」なのか、とか考えたりしちゃいます。もっと生っぽいのが欲しくなります。奇麗に見繕ってない、市場原理で加工されてない生っぽい人間の思考に触れたくなります。生って大事です。生ビールとかね。